モゾモゾと私。

e (1)
停止しているように見え
すべては静止しているんだ

ジッととどまるのではなく
変化しながら息づく存在

そこにある石コロさえも
石コロの形になる以前から
モゾモゾと動き続けている

そのモゾモゾと話をし
手に鍼を持ちながら
共にそっとゆれ動く

ひとつの場の中で

やまかつ

近くて遠い。

写真 1
泣いている子供に
飴玉を与えるように
狭く短い次元で
完結させるよりも

それは
流れの一コマなんだと捉え
今、この時間に集中したい

身体が伝える伝言としての症状
それは病でなくコトバだ

一見何もないその空間を見つめ
声を聴き 伺い 分かち合う

鍼が皮膚に触れるその刹那
大きく深い流れを背中で感じる

やまかつ

視覚。

バク
モノをみるということは
モノを目で確認するだけでなく
そのモノとの間の空気感をも
含めてみるということで

いや
そのモノとの間にある何かだけを
みていることも少なくはない

いずれにせよ
目でみる ということにこだわり
その情報が私というフィルターを
通した時にどのように写るのか

刻々と移り変わる世界の中
全ては花を咲かせるため

やまかつ

師匠の師匠。

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他を寄せ付けない
ぶっちきりの存在が
さっきまで目の前にいた

鍼の無限の可能性を
現実として目の前に
見せて頂けることが
どれだけ有難い事か

が、
同時に少しの悔しさが
私の中に生まれるのも
これまた事実である

ただ、
ぶっちきりへの近道など
当然ないことも理解し

そして、また明日から
目の前の患者さんを
ひとりひとり丁寧に
診ていく毎日が続く

やるしかないっす

やまかつ

柔らかな光。

写真 1 (2)
水槽の水
魚たちはみな
その存在を認知しているのか

目の前の空気
当たり前の状況に
気を留めることは少ない

その空間に内在している意識

一側面だけではなく
幾重にも重なり
何通りも同時に存在

そして
生かされていることに
今日も改めて気付く

やまかつ