立春。

写真 (39)
患者さんに鍼をするということは
何人かであれやこれやと
相談しながらするものでもなく
患者さんに聞きながらでもなく
毎回本を開けることでもない

どのように感じ
どのように判断し
どのような場所を選び
どのような鍼をするのか

日頃からどれくらい
自分と向き合っているかが
結果として目の前に現れる

答えはみつからなくていい
自分への問いかけの時間

今年も大切に大切にしていきたい

やまかつ

一粒の種。

木々⑤
ゆっくりと時間をかけて
自分がしたことが拡がる

口から出入りする呼吸
頭で繰り返される思考
日々の何気ない動き

私からあの人に伝わり
あの人からあっちの人へ
次々と次々とまかれる種

ひとつの種が花開くとき
あっちの人から私に還る
網の目のように繋がり拡がる

この新しい一歩でさえ

やまかつ

責任感。

木々④
責任ってなんだ
責任とは自覚

私には責任がある
と自覚した時点から
責任は生まれる

人から押し付けられる
ものでもなく
それは自発的なもの

私には育てる責任がある
私には創り出す責任がある
患者さんを治す責任がある

地球を守る責任がある

やまかつ

鍼を合わせる。

写真 1 (3)
ツボに鍼を
合わせる時には
如何に自分自身を
無くすかを思案します

「自分自身を
無くすことを思案する」
こと自体が矛盾している
ことではあるのですが

鍼を合わせるとは
そういうことなんです

そこに
やまかつが入ることを
極力なくすことなんです

やまかつ

これしかないんちゃうか。

ライオン
私が考える
鍼を生業とするモノは

突き詰めて 突き詰めて
自分の中を掘り下げることで
自分を拡げる そして拡がる
モノであるわけです

人によっては
自分の外側に向けて
発信する方法もありますが

如何せん、私には
前者しかできず
脉、舌、腹、手足などを
診させて頂く際には
更に自分の内側に内向してゆきます

そこにしか
道はないとさえ思うのです

やまかつ